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日々のメモ

『日本狂詩曲』の名盤 –––– その1

 この半年ほど伊福部昭の音楽を聴きまくっているのだが、もし「伊福部昭の名作を3点選べ」と言われたならば、現時点では『日本狂詩曲』(1935)、『郢曲 鬢多々良』(1973)、『ピアノと管弦楽のための「リトミカ ・オスティナータ』(1961)を選ぶ。

 

では、「それぞれの作品の名盤は何か」と訊かれたらどうだろう。

 

『日本狂詩曲』は極めて演奏に恵まれている作品のため、録音がかなり多い。しかもこの作品、豪華な編成なので録音・演奏ごとに聴こえる音や作品の雰囲気が全然違う。「え、こんな音流れてたっけ」、「あの録音ではこうなってたころがこの録音ではこうなってる」的な状況が頻繁に起こる。『日本狂詩曲』は(アタクシのなかでは)聴き比べがすこぶる楽しめる作品であり、名盤をいくつも挙げられる自信がある。

 

しかし、残る2作ではちょっと話が違う。  

 

まず、『郢曲 鬢多々良』の場合(アタクシが知る限りでは)。CD録音は1つしかない。田村卓男 / 日本音楽集団に」よる。この作品めちゃくちゃ面白い。雅楽を例外とした和楽器オーケストラってこれくらいなんじゃないかな。長唄とかはあくまで歌舞伎や舞踊とセットのものだし。弟子の三木が伊福部昭の作品で最も素晴らしいのはこの『郢曲 鬢多々良』だと言っていたらしい。

 

 

「鬢多々良」/伊福部昭作品集

「鬢多々良」/伊福部昭作品集

 

 


伊福部昭『郢曲「鬢多々良」』

 

  

で、『ピアノと管弦楽のための「リトミカ ・オスティナータ」』だが、この作品はそこそこ演奏はされているけれど、じゃあその質はどうかといえば殆どビミョーと感じてしまう。若杉弘 / 小林仁 / 読売日本交響楽団を除いて(あくまでアタクシの独断と偏見だが)。もう後にも先にもこの録音を超える録音は出ないんじゃないだろうか。アタクシが聴いた伊福部昭管弦楽による純作品は本作であり、伊福部昭の作品を調べる契機の存在にもなった(いずれブログ記事にしたい)。まだ熟成しきってない感じもするけれど、オーケストラの使い方、作品構造(拍子及び音階への配慮。オスティナートの多様など)が見事だと思う。伊福部作品おしては珍しく、わりかし一般受けしなさそうなのもいい。

 

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現代日本の音楽名盤選5 伊福部昭・小山清茂・外山雄三 (MEG-CD)

現代日本の音楽名盤選5 伊福部昭・小山清茂・外山雄三 (MEG-CD)

 

 


Akira Ifukube: Ritmica Ostinata per Pianoforte ed Orchestra

 

 

というわけで、次回に『日本狂詩曲』の名盤を紹介しようと思う。

 

 

そう、そこ、、、そこをもっとつよく、、、

むかし交際していたある女は極度のマゾヒストであった。ボクは女が倒錯者であることをなんとなく知りつつ付き合ってしまった。


恋人の望むことを達成することが恋人の態度だと考えていたボクは、彼女の求めるような人間になっていった。女は自らを奴隷や犬のように扱う主人を欲望していた −−−− このとき、既にボクは驚懼の念を抱いていた。


しかし、それでも相手が望むのなら、とボクは主人の立場につくことを了解した。



性行の際、マゾヒストというのは「そう、そこ、そこがいい、そこをもっと強く(噛んで、叩いて、縛って、etc)、、、」と馬鹿みたいに注文してくる。今やサディストとなったボクは楽しみながら女の望みを叶えるのだが、あるとき気づいたのである。結局のところ、主人とは奴隷に支配された存在であることを。


奴隷は主人に罰なり折檻なりお仕置きなりを求め、主人は不気味な快楽に身を任せてそれを遂行する。奴隷を虐げる主人。この構図は一見して主人がその場の(文字通り)主人であるかのように見えるが、事実は違う。むしろ主人は奴隷の命令に従属する存在なのである。


性交の現場において、女にとってボクはローターでしかなかったのである。また、ボクは自らがローターになることを甘んじていた。この事実に不気味さを覚えたボクは、たちまち性行が怖くなってしまった –––– そしてあの眼差し! –––– 。


同時にボクは気がついていた。女はボクをローターとして扱うか恋人として扱うか葛藤していることに。

恋人を自らのローターにすれば自らの欲望は充足されるが、代償として失われるものがある筈である。それは紛れもなく愛する者としての自らの存在である。恋人をローターに変えてしまえば、必然的に自分はローターを使う惨めな女になってしまう。つまり、(恋人を)愛する女でも、(恋人に)愛される女でもなくなってしまうのである。


まあ、今となれば正常な恋愛関係が「恋人をフェティッシュへと落とし込む」もんだと知ってるからそれほどゲーッとはしないんだが。


とはいえ、なにより恐ろしいのは女はボクを見出したことである。つまり、女はボクを猥褻な現場におけるベストパートナーと考えたのである。それはなぜだろう。深く考えるのはよすが、しかし、自分にはなにか不気味な倒錯性があることは認めておくこととする。おそらくだが、「相手をフェティッシュへと落とし込む」だけの恋愛は悲劇的(というよりもはや諧謔的)なオチを迎える。相手の魅力だけに惹かれているだけの恋愛は破綻すると思う。




ああしかしおんなは

どうしても再会たかった2人の友人と話すことができた。中学時代の友人数人いる席でだが。


いま思うと、ふたりとも大きく変わっていた。



おとこは髪を短くして、恋人をつくっていた。

軽音部に入ったからか、指は逞しくなっていた。もうクラシックは聴いてなかった。

おとこもその恋人も本が好きで、『潮騒』、『御伽草子』、『武器よさらば』、いろいろ話してくれた。そういえば、何年か前に『畜犬談』を勧めた気がする。

えっ君の恋人は潔癖症なのかい?それじゃあ口づけだってロクにできまい。

 


ああしかしおんなはこんなに可愛かったっけ。思わずみんなの前で洩らしてしまった。彼女はこっぱずかしそうに下を向いた。

いまは法学の勉強をしているらしい。えへん、とした顔で本を見せてくれた。

おんなは合唱が好きで何年か前にわざわざ電話をしてきた。「わたしは合唱をやりたいからこの高校を選んだの」。今はもう合唱への熱情は失せたらしい。




Son of Saul

この作品を改めて観た。穏やかに死ぬためには、なにかへの希望は不可欠であることを教えられた。

おそらく主人公は、穏やかに死ねたはずだ。


ちょっと「反則」の可愛さ(古臭い上に単調な言い回しだが)じゃないか…


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アタクシは髪を抑えるひと(男性 / 女性)にひどく胸を打たれてしまうのですが、いやはや、再確認の深夜である。






わたしたちはみえないものを いっしょうけんめいみようとしている

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武満徹の『系図若い人たちのための音楽詩―(Family Tree - Musical Verses for Young People - )』を知ってしまった。

 


デュトワ/N響:武満徹作品集

 

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あああああああ…。至上の星、風の涙、抑圧した(された)はずの記憶、海の息、街の眠り、みえる、聴こえてくる…。


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死ぬのか

おい、あんたもう死ぬのか

落ち着いた方がいい。興奮しなさんな。

一緒に川を眺めたとき、あんたは生きていたいって言ったじゃんか。

結局あんたの勝手だがさ、「やめとけ」くらいは僕だって言います。