aphanisis

日々のメモ

肉体の作家

                                       

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安吾が好き。小説は好まないけど(河本英夫教授は「安吾は小説が下手くそ」と言われてたな…)、評論がいい。なにより人間がいい。色々読み返したけど、安吾って「肉体の作家」なんだなって思い始めた。安吾は明らかに文を書くことを肉体的な活動としてる。

 

先日、安吾の『堕落論』の初版を手に入れた。銀座出版社からのやつで、昭和22年。『堕落論』はもうすっかり読んでしまっていたのだが、所収の『戯作者文学論』は初めてだった。

このなかで安吾は自身の日記をそのまま書いてるのだが、彼の作品である『女体』にまつわる記述が多い。

 

アタシは『女体』をどうも読んだような気もするんだけど、もう2、3年前のことだからあまり覚えていない。どうやら安吾は『女体』を書くのに苦心したらしい。というのは、登場する女、素子を考えれば考えるほど、かつて愛した矢田津世子が浮かんできたから。

 

 

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この素子に私は、はっきり言つてしまはう、矢田津世子を考へてゐたのだ。この人と私は戀ひこがれ、愛し合つてゐたのだが、たうとう、結婚もせず、肉體の關系もなく、戀ひこがれながら、逃げあつたり、離れることを急いだり、まあ、いいや。だから、私は矢田津世子の肉體などは知らない。だから、私は、私の知らない矢田津世子を創作しようと考へてゐるのだ。 

 

坂口安吾矢田津世子が5年間の交際をしていたのは有名。でも、『戯作者文学論』によると、2人が顔を合わせた時間は合計しても実のところ1年ほどだったらしい。

幾度かの会話と一度の接吻とが2人の触れ合いの全貌だった。

5年目にして初めて接吻、その日に安吾は絶縁の申し出を彼女に出す。

安吾にとって矢田津世子は特別な女だった。『女体』の素子を書こうとするたび、偶さか彼女を想起して超烈な苦悩をする。安吾にとって矢田津世子は美しさと善さの最高のひとであって、彼女の「肉体」を美しく、善く記述しようと努める。でも、いつも最後には汚くしてしまう。矢田津世子の「肉体」を想像して書くと、結局、蹂躙して汚して冒瀆してしまう。

 

私は思惟の中で、あなたの肉體は外のどの女の肉體よりも、きたなく汚され、私はあなたの肉體を世界一冒瀆し、憎み、私の「吹雪物語」はまるであなたの肉體を汚し苦しめ歪めさいなむ畸形児の小説・・・(略)・・・私はあなたの肉體を汚さうと意圖してゐるのではなく、いつも、あなたの肉體や肉慾を、何物よりも清らかなものに書くことができますやうに、ほんとにさう神様に祈つてゐますが、書きはじめると、どうしても、汚くしてしまふ。私は昔から惡人を書きたくないのです。善いもの、美しいもの、善良な魂を書きたいのだが、書きだすと、とんでもなく汚い惡い人間、醜惡な魂に、自然にさうなつてしまふ。自然にどうしても、そつちの方へどんどん行つてしまふ。

 

おそらく、安吾は次のことを理解していた。

 

《人が愛するとき、それは性とは全く関係がない。》 –––– ラカン

 

愛において。肉体的な活動は嫌悪するべきものであったに違いない。愛の場所に肉体は邪悪だった。安吾リルケ的な、「触れることのできないもの」へと変化させる愛を望んでいたんだと思う。でも、どうしてもそれに手を出してしまいそうになるから、蹂躙したくなるから、冒瀆したくなるから、絶縁を送ったのではないか。だから、安吾は愛において肉体が嫌だった。

結果、安吾矢田津世子を「夢の中の人」にする。

 

 

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たつた一度、接吻といふことをした。あなたは死んだ人と同様であつた。私も、あなたを抱きしめる力など全くなかつた。ただ、遠くから、死んだやうな頬を當てあつたやうなものだ。・・・(略)・・・その晩、私はあなたに絶縁の手紙を書いた。私はあなたの肉體を考へるのが怖しい、あなたに肉體がなければよいと思はれて仕方がない、私の肉體も忘れて欲しい。そして、もう二度と会ひたくない。誰とでも結婚して下さい。私はあなたに疲れた。私は私の中で別のあなたを育てるから。

 

安吾は、素子を素子として書こうとするも、やはり書けない。

 

素子は素子だ。どうしても、私は、それを、信じなければならない。私は四枚書いた。筆を投げだしてしまふ時間の方が多いのだ。


矢田津世子との時間は、5年の交際期間の間で歳月にして1年であった。そのほかの時間、安吾矢田津世子を「夢の中の女」に仕立て上げていた。安吾矢田津世子の肉体を愛せなかったため、肉体を嫌悪して「夢の中の女」の矢田津世子の方を愛した。

現実界矢田津世子に遭遇するより、「夢の中の人」としての矢田津世子に会うことの方を安吾は好んだのだ。

 

安吾矢田津世子と全く会わなかったことと、『肉体』を全く書けなかったことには強い関係があるように思われる。

 

それは素子が矢田津世子と重なるためでもあるだろうが、文を書くことそれ自体が、肉体的な活動だったからというのは考えられないだろうか。矢田津世子を記述することは、「夢の中の人」を肉体を使って触れることに等しかったのではないだろうか。

 

 

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つっても、評伝やら外の作品やらなんやらゼンゼン読んでないからウソだと思っていいレベルだけどね。雑記よ、虚言よ、妄言よ。