aphanisis

日々のメモ

倒錯のまなざし

ジジェクによれば、性行為の際、われわれは想定の第三者の眼差しに依拠する。

 

貧乏な田舎者が、乗っていた船が難破して、たとえばシンディ・クリフォードといっしょに、無人島に漂着する。セックスの後、女は男に「どうだった?」と訊く。男は「すばらしかった」と答えるが、「ちょっとした願いを叶えてくれたら、満足が完璧になるんだが」と言い足す。頼むから、ズボンをはき、顔に髭を描いて、親友の役を演じて欲しいというのだ。「誤解をしないでくれ、おれは変態じゃない。願いを叶えてくれれば、すぐにわかる」。女が男装すると、男は彼女に近づいて、横腹を突き、男どうしで秘密を打ち明け合うときの、独特の流し目で、こう言う。「何があったか、わかるか? シンディ・クリフォードと寝たんだぜ!」

 

目撃者としてつねにそこにいるこの〈第三者〉は、無垢で無邪気な個人的快感などというものはありえないことを物語っている。セックスはつねにどこかかすかに露出狂的であり、他者の視線に依存しているのである。–––– 『ラカンはこう読め!』


刺激的なプレイに、鏡は最高のパートナーってわけか。

ジジェクが真っ当であることは、TwitterTumblr、ポルノサイトやらに〈個人撮影〉、〈アマチュア〉というタグで投稿する倒錯者たちが教えてくれる。

 

   https://vtt.tumblr.com/tumblr_oast8aFo0o1vrxkq6.mp4


この女は誰を見ているのだろう? / 誰に見せているのだろう?


https://video.twimg.com/ext_tw_video/898134254223110146/pu/vid/1280x720/HNSFoGAiYL9O4R8q.mp4


この男は誰の目から女を見ているのだろう?





ネット上に氾濫するポルノは、倒錯を知る最高のツールだ。