aphanisis

日々のメモ

池の腐った樹や草を眺める女

 

 

ああ、いまひとりの女を思い出した。

 

 

(アタクシが女を記述しまくるのは、第一にアタクシが情けない男だからであり、つぎに女を奇妙に思っているからであり、また、女を憎いと思っており、同時に女に希望を持っているからであり、つまり女というものが好きだからである。アタクシは女を男と自然の次に愛しく思っている)

 

 

その女というのは、修学旅行で北海道に行ったときに親しくなった同年代のひとである。

 

 

 

 

ボクは修学旅行というイベントが大嫌いで、川下りや観光などを馬鹿で煩い人間たち –––– 男も女も含める –––– と共にするのに耐えられなかったため、仮病をつかってベッドで本を読んだり書き物をしたり窓から羊蹄山や寒林を眺めたりしていた。

 

 

 

 

余談だが、宿泊したニセコの地はたいへん美しかった。明け方、羊蹄山から太陽が顔を出した途端に、櫨染色の明空は銀白の朝空に変わり、ざあっと厚い幕のような白霧が一斉に引いて、黒々とした無数無数の樹林が露わになった映像をいまでも鮮明に憶えている。魂が震えた数少ない経験のひとつである。

 

 

 

 

昼時にひとりの女教師が、「午後にひとり体調を崩した生徒さんが来るみたいなの。仲良くしてあげてね」と言ってきた。

 

 

13時過ぎくらいだったと思うのだが、たしかに1人の生徒がバスでホテルまで帰ってきた。

 

 

(ボクが思い出したのは、この女のことである。)

 

 

「楓」という名で、歯ならびは決して綺麗ではなかったが、無垢な笑顔と大きな瞳が印象的な、髪の短い女だった。

 

 

とはいえ、とても体調が悪そうだったので声をかけてみたら「周りの人たちが煩くて。普段もクラスの雰囲気に馴染めないんだ」と苦笑いしていた。

 

 

女教師は僕たちを宿泊施設周辺の森や牧場に連れて行った。馬に人参を与える女の様子は可愛らしく、馬の鼻息の荒さに吃驚しては鈴のような笑い声を上げた。

 

 

緑の似合うひとだった。道に落ちた枝を拾ってはゆらゆらさせたり、どこからか聴こえてきた鳥の鳴き声や啄木鳥の音に耳を傾けては微笑んだりしていた。その様子はとても愛嬌があって、どこか官能的だった。

 

 

3人があまり手入れのされていない池に着いたとき、女は腐った樹や草をじっと見つめていた。雨上がりのような腐葉土と、池の香りが鼻腔に触れる。ボクは黙って彼女の背中を眺めていた。あなたはあのときなにを考えてあのですか。

 

 

ほんの1時間程度の交流だったが、思わぬ嬉しい時間だった。

友だちになることはないだろうけど、お互いがよい時間だと感じていたのはたしかだと思った。

 

 

しかし、次の日にこの一件を恋人は知ってしまった。「知ってしまった」と書いたが、別に肉体を触れ合うことだってそれらしいことを伝えることだってなかった。だが、恋人はボクと彼女が交際していると思い込んだらしく、激しく心を乱してしまった。それが誤りであることを必死に伝えようと努めたが、結局恋人は信じてくれなかった。

 

 

結局、女とは疎遠になってしまった。

 

 

 

 

 

 

それから二ヶ月ほど経った秋のある放課後、女を廊下で見たことがあった。

女は化粧をはじめ、ピアスを開けていた。ガラの悪い女たちと一緒にいる女の笑顔には、もう愛嬌も無垢も無かった。

 

 

向こうはボクのことをもう憶えていなかったようだ。

 

 

疎遠になって寧ろ良かったのかもしれないとかは思わなかったけれど、なんとなく、鳥の声に耳を傾けたり池の腐った樹や草を眺めたりする彼女はもういないことをボクは悟った。