aphanisis

日々のメモ

侮りがたい詩

 

 

詩人とお話をさせていただいて何となく思ってしまったんだが、おそらく、美術は詩に勝てないだろう。演劇や映画も勝てないかもしれないがしかし、美術は決定的に勝つことができないだろう。

 

詩はあまりに強大すぎる。無責任に撹乱し、反射し、溶解したり伸縮したりする。

 

僕が語っているのは、詩と空間の話。

 

絵画は紙から離れることができないし、彫刻は床や天井や壁から離れることができないではないか。でも、詩において空間は美術とは違い枷にならない。なんなら枷から解放ができる(それは僕たちの手によっての場合もありうる)。

 

 

モノを描く絵画は特に弱い。問題はモノとモノの間に或る亀裂を生むことであって、モノを生むことではない。だがより重要なのは、美術作品は持続する空間上でしか生きることができない点である。それはあらゆる場面において。

 

 

描かれた絵は撹乱、反射、溶解、伸縮などのあらゆる運動が制限されている。また、作品そのものが固有のモノに依拠していなければ生きることができない。繰り返すがこれが枷である。そして詩はこの枷を問題としない。

 

 

究極の問題としては、モノとモノの間の亀裂を生む作業こそが詩の本質なのだが、この詩の本質的な構造が、すでにあらゆる場所に存在している事実。これが1番の怪物だ。

 

 

(ただ、ひとつだけ秘密を明かすなら音楽は強い可能性があると思う。)

 

 

余談だけれど、精神分析も詩に勝つことができないだろう。詩人たちは圧倒的に知っている。フロイトよりも意識について知っている。実のところ無意識など、たぶん問題じゃないんだろう。詩人たちはそれを知っている。それは精神病者たちが知っているということでもある。換言すれば、分析家は精神病者に勝てないのである。