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日々のメモ

バルテュスの絵、クロソウスキーの絵

 

 

 

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バルテュスバルテュスといえば、去年メトロポリタン美術館に対して『夢見るテレーザ』の撤去を求める署名が8000近く集まったっつーニュースが報じられた。でも、今日はそういう話じゃない。

 

 

 

 

実はバルテュスの兄はピエール・クロソウスキー

 

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これを聞いて「えっ!マジ!」となる人、あるいはバルテュスファンはどれくらいいるのだろう。たぶん、あんまいないんじゃないか。たぶんね。

「誰?」という反応が多いんじゃないかな。

 

 

とはいえ、別にそんなの大した話じゃない。

クロソウスキーは思想家、小説家で、特にニーチェの哲学に触れる上で外せない人物なのだが、彼も弟のバルテュスと同じように絵を描く。

 

 

 

バルテュスの絵を、フェリックス・ガタリは『街路』を引き合いに、「亀裂の絵」だの「分裂」だの「美的アジャンスマン」だの言ってる(『街路のなかの亀裂』––––『分裂分析的地図作成方法』押収』)けど、これはわかる。モティーフの切断、裁断、解体。線と色彩の意味作用のない扱い。

 

 

(以下、バルテュスの絵)

 

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で、一方のクロソウスキーの絵は「密着」なんだな。

あ、これはガタリの考えじゃなくてボクの考え。だから、テキトーに流してほしい。とはいえ、ガタリは『街路のなかの亀裂』のなかでクロソウスキーの思想を引用してはいる。

 

クロソウスキーの絵はバルテュスの絵とは対照的にモティーフとモティーフがくっつきあってる。彼の絵は、「艶物」が多いんだけどモティーフの密着か激しい。

 

 

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(これで終わり。なぜなら、これ以上書けることがないから)