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日々のメモ

『五つのラメント』

 

 

ボクが初めて聴いた男声合唱曲はコレ。

栗山文昭指揮 早稲田大学グリークラブによる『五つのラメント』。草野心平作詩、廣瀬量平作曲。

 


男声合唱曲「五つのラメント」

 

 

 

 

 

忘れもしない。11歳の12月。雪が降る夜。

炬燵で受験勉強に勤しんでいたボク –––– アァッ!蛍雪の功! –––– は、息抜きに何となく合唱を聴こうと思った。

 

思い入れ深い作曲家である廣瀬量平を起点として調べ、行き着いたのが彼の『ラメント』だった。

 

 

愛用の黒いイヤフォンをしっかり耳に押し込み、ぼんやり小豆色の空を眺めて再生した。

 

ポツリポツリと発声を始めるテナー –––– どうも3声部ほどに分かれているようだ –––– 。無機質な複数の高音は徐々に覆い重なって、やがて壮大なクラスターとなる。そして突如声が弱まったかと思うと、再びクラスターが作り上げられる。そうしてまた、声が徐々に消えていく…。

クラスターが鍵となる第1番『十字架』の声の拡大と縮小の交替運動ただただ凄烈だった。アウシュヴィッツで死んだ息子を思う父の詩ということもあり、惨憺としつつも個人の孤独な祈りを感じさせる不思議なテクスト。それとクラスターが実にマッチする。

 

第2番の『さやうなら一万年』は、諧謔性と神秘的なテクスト。2人のテナー・ソロのヴォカリーズが実に心地よい。

 

第3番『天のベンチ』は、ボクがこの組曲で最も好きな作品である。はじめて聴いたとき涙を流してしまったのを覚えている。

 

 

あなたの頬はひろーいツンドラの雪になり。

 

馴鹿の群れが粛々としてすすんでゐます。

地平はるかに。

愛しい楽器がなつてゐます。 –––– 『天のベンチ』

 

 

ああ、草野心平がこのような愛の詩を書くとは驚きである。こんなに切ない愛の詩を書くなんて。もっと野蛮な印象があったから驚きだった。

後から知ったのだが、この頃の草野心平はある種の転換期だったらしい。『天のベンチ』が収められた『絶景』の最初の詩は『Bering Fantasy』という作品なのだが、宗左近も絶賛している通り、この詩から緻密で巧妙な構成が認められる。明らかにアナーキズム的だった従来の草野作品とは一線を画す。近い時期に作られた『天のベンチ』も転換期の作品と見てよかろう。

そんな『天のベンチ』は詩だけでも素晴らしいが、廣瀬の叙情的な音にのると美しく生動するように思う。終盤の「愛(かな)しい楽器が」のソロに胸が締めつけられる。

 

 

第4番は唯一清澄な雰囲気のある曲で、12歳という若さで亡くなった少女のために書かれた『オーボエの雲』がテクストとなっている。爽やかだが、切ない。

 

 

第5番の『Volga』は、ボルガ川の史実と草野心平のヴィジョンが交差する不思議な詩。頻繁に登場する「arr in zen」という語が印象的。『Volga』は息の長い雄大な作品だが、本組曲のこれまでの作品とは微妙に何かが違うように思われる。

ずーっと「何か」とはなんなのか考えてたんだけれど、いま少しわかった気がする。

 

これまでの4曲(『さやうなら一万年』は死とそこまで密接ではないが)は「個人の詩」が主題であるのに対し、最終曲は「複数人の死」であるように思われる。

 

『十字架』はアウシュヴィッツで死んだ息子。『天のベンチ』はおそらく愛する人。『オーボエの雲』は12歳の少女。

しかし『Volga』は、沈んだ諸々の者たち。

 

この違いなのかもしれない。個人的には『Volga』は他の4曲に比べて、とてもエネルギーが足りない。最も弱く聴こえてしまう。

 

 

因みに本作の名演は初演団体の立命館の、しかも初演メンバーによる演奏だろう。

聞くところによると『ラメント』の委嘱依頼は演奏会の1年前に済ませた筈なのに、肝心の楽譜が届いたのは初演の10日前で、彼らは死ぬ思いで練習に励んだらしい –––– 廣瀬は遅筆で有名 –––– 。だから、彼らの初演は今でも伝説的だし、YouTubeに転がってる初演メンバーの確かに演奏は凄まじい。たぶん、これを超える演奏はもう無いだろうな。

 

 

 

 

 

 

僕はここのところ夜になると頻繁に『ラメント』を聴いてしまう。

冬が近づいたからだろうか。