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オクタビオ・パス / 『マルセル・デュシャン論』ほか

 

 

いやあ、この一年の読書量は例年に比べて冗談抜きに少なかったな。30も読んで無いんじゃないかなあ。とはいえ面白い本が数冊あったのも事実。ネタ切れてきたから本の記述をやるよ。

 

 

オクタビオ・パス / 『マルセル・デュシャン論』、『泥の子供たち』

 

 

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Octavio Paz(1914〜1998)

 

ノーベル文学賞受賞者でもある詩人オクタビオ・パスの『マルセル・デュシャン論』は、専ら詩と近代芸術に視座を置いてデュシャンを批評した書物。本書のなかでデュシャンポスト構造主義言語学の先駆者と位置づけ、彼が精神病とシニフィアンの関係を誰よりも早く、そして深く理解していた(デュシャンは自分が狂っていることを知っている)事実を指摘するのだが、こういう言葉への接近からデュシャンを解体する試みは実に詩人ならではのものだと思う。無論、デュシャンが言葉遊びを好んでいたのはよく知られているけれど、同時代の詩、近代の詩、そしてポストモダン言語学まで視野に入れて論じてるのはなかなかの稀有なように思われる。

 

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Marcel Duchamp(1887〜1968)

 

オクタビオ・パスはかなり情熱的な文体のひとなのだが、『泥の子供たち』なんか読んでるとうっとりしちゃって駄目だ。パスは、近代は常に過去を否定し続けいまある瞬間(〈瞬視〉みたいなものか)を愛さなければならないと言う。

 

近代の伝統は、昔のものと同時代のもの、遠くのものと近くのものの対立を消し去る。これらの対立をことごとく溶解させる酸は、批判である。ただ、批判という語にはあまりに知的な響きがあるため、私はそれを別の語––––情熱––––と繋ぐことにした。情熱と批判が結びつくことで、近代的なものに対するわれわれの崇拝の、逆説的な性格が浮き彫りになる。批判的情熱––––批判とその精密な解体装置への、常軌を逸した、熱烈な愛。しかしまた、対象に惚れ込んだ批判。自分自身に恋をし、常に自分自身と格闘しているので、永続するものは何も認めないし、いかなる原理にも依拠しない。あらゆる原理の否定、果てしない変化こそが、その原理なのだ。このような批判は、変化の最も純粋かつ直接的な発現––––いま––––を、情熱的に愛することに到達せざるを得ない。–––– オクタビオ・パス『泥の子供たち』

 

 

オクタビオ・パスによる時間の考察も面白い。古代に比べ現代は「時間が加速した」という。これは時間が同時多発的になったという意味で、この時間の加速によって異なる時間同士がお互いの領域に流れ込み、融合し合うようになったという。詩と時間の関係(異なる意識の同士の共鳴と制作)について考えていた当時のボクにとって、このパスの本は有り難かったし大いにヒントを与えてくれた。

 

 

 

 

つづくよ