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柴田南雄 / 『日本の音を聴く』ほか

 

 

柴田南雄 / 『日本の音を聴く』『柴田南雄著作集 第2巻』

 

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柴田南雄(1916〜1996)

 

「知の巨人」で知られる柴田の著作。僕は柴田南雄の人と作品が好きである。『日本の音を聴く』は、前半は殆どエッセイで、後半は自作解説に内容があてられている。『著作集 第2巻』は名著『音楽の骸骨の話』をはじめとしたいくつかの著作の寄せ集めである。

『日本の音を聴く』にはたびたび廣瀬量平が登場するが、これは思わぬ収穫だった。柴田は本書で古代楽器についていろいろ書いてるのだけれど、ちょくちょく“海と笛の音楽家”廣瀬を引用する。例えば、

 

   作曲家の廣瀬量平さんは、おもしろいことに気がついた。それは要旨、次のようなことである。

––––石笛は古神道で神霊を招き寄せるのに使われた。能楽を、そうしたシャーマニズムの儀式の芸能化したものとしてみることは可能だが、まさに能において神霊が出現するときに吹かれる能管の鋭い音、とくにヒシギという最高音は石笛の音とそっくりだ。––––  ––––柴田南雄『日本の音を聴く』

 

僕の1980年代日本音楽は廣瀬量平から始まっており、著作を遺していない彼の音楽観に若干でも触れられたのは嬉しかった。

『著作集 第2巻』の目玉はなんといっても『音楽の骸骨のはなし』である。雑誌『音楽芸術』での連載を単行本化したもので、柴田の業績のひとつ〈骸骨理論〉が中心話題である。

 

    いわゆる骸骨理論(構造模式図)は、小泉文夫の体系づけた伝統音楽の旋律構造を五線譜の上で四種のテトラコルドの分類によって説明しようとする方法に対して、五線譜によらず、四度の協和関係をなす核音と、その核音の上あるいは下におよそ長・短二度の間隔ディスタンツをとって現れる音の連鎖のパターン(模式図)によって説明しようとする、より原理的なものであるが、この理論的な研究こそ、先に述べた、民謡等の旋律の多声的な響き、自然なハーモニー感覚を生む方法の根拠となっているのである。 

    そして、さらにつけ加えるならば、この骸骨論の研究に向かわせたものは、柴田南雄みずから記しているところによれば、マックス・ウェーバーの『音楽社会学(音楽の合理的・社会学的基礎)』であった。そこで、西洋音楽が西欧社会に発生し、成育し、繁栄している合理的基礎をウェーバーが完全に洞察していることに感銘を受け、さて、それでは我々の間に音楽が定着するには、どのような合理的基礎に立つべきか、を深く考えさせられた、と述べている。 –––– 安芸光男『柴田南雄の位置 ―― 「作品」概念の転換へ向けて』

 

柴田南雄は近年目覚ましい復興を遂げているように思われる。山田和樹氏は柴田南雄の演奏を精力的に行なっているし、その結果北川フラムの目にとまり、今年の大地の芸術祭のオープニングセレモニーは、柴田南雄の『ゆく河の流れは絶えずして』のリメイクだった。

 


小林武史 交響組曲 『円奏の彼方(Beyond The Circle)』〜based on 柴田南雄『ゆく河の流れは絶えずして』〜

 

だが柴田の仕事をそのままの形で継承したり批判的な試みを蔑ろにして受け容れたりする態度が、果たしてほんとうに良いのかどうか疑問に思うところがある。が、ここではあまり多く書かないことにする。